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うらまごblog

 

 東陽片岡 されどワタシの人生

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 おかしくも哀しい下町人生を速射砲のごとくにぶっぱなす。みっちり書きこまれた絵にぎっしり綴られた文字、例えば
ワタシが昔、駒込のボロアパートに住んでた頃、しばしばこのように明け方近くにアエギ声が聞こえてきました。しかし、後で解ったのですが、そのほとんどがハトの鳴き声だったのであります。
過激です、全編ペーソスに包み込まれて、引っ張るだけ引っ張ってストンと落とす。これが男の生きる道ってところですか(T^~)クゥ-
 
2002/09/23 記




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 やまだ紫『性悪猫』(1980 青林堂)

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やまだ紫の処女単行本、代表作。漫画というにはあまりに詩的。部類の猫好きのやまだ紫の描く猫は猫なのだよ。そしてぼそぼそ独白する猫。きっとやさしくなれる。

    つめたい言葉を言ったり
    気まぐれにやさしく見つめあったり
    そんなことをして過ごす日々は 元気でいい
    元気でキラキラでハツラツーだと
    そのあとつづくのですろう
    おめいらそんなきれいそうに言ってさ
    「…でいい」 
    ―ただ 
    ―でも 
    ―だけど 
    だから だって と
    濁音をつなげてさ
    せっかくのきれいを濁して話を濁すのさ
    …なんだか痛いよ
    そんなにすねて やけた草を 踏んで歩く おまいを見ると
    ずんと痛いよ
    …そうかい

 花輪和一 ニッポン昔話

ニッポン昔話
花輪和一
ニッポン昔話
2001 小学館


 桃太郎御一行様が鬼退治の凱旋からいきなり始まってしまう「桃太郎」。掲げられた鬼の生首がひどく凄惨で、犬も猿も傷ついている。が、嵐の日にその花輪桃太郎は流れてくる。桃の形をしたカプセルに入って。
 裏の畑でシロが鳴く。と、掘りかえさなくても遮光器土偶が飛びだしてくる「花咲か爺」。「一寸法師」は未来の地球外生物(ドラえもんではない!)であったり。
 「かぐや姫」にいたっては、そろそろわらじを編み始めねばならぬかと(苦笑)、しかしラストを飾る上でこの「かぐや姫」はすごい!
 花輪初心者のボクがとやかくいうこともない。偽・花輪論(前編)、偽・花輪論(後編)に非常に詳しい。そこに書かれているように、まさに《花輪は「業」そのものも描いてきたが、それ以上に業からの解脱、「業を落とす」というテーマに沿って、その作品を描いてきた》というのは全くその通りだと思える。大宰の『お伽草子』はやけに斜に構えているのに対して、花輪の『ニッポン昔話』はがっぷり真正面からとっくみあっているという印象が強い。
 ところで、どこが「肉筆サイン」なのだと思ってたら、真ん中の金で書かれた「花」、そして女の子の眼はひとつひとつ描きこまれたものなのであった。ビッグコミックオリジナル増刊号『驚天動地シリーズ・和一怪奇おかし話』からの単行本化

 古屋兎丸『palepoli』 (1994 青林堂)

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古屋兎丸
palepoli
1994 青林堂



 マジな顔していて突然ブフっと噴きださずにはいられない。
 例えばね、子どもがクワガタの勝負をさせてる。そのクワガタの一方がキリストなんよ、当然のことながらキリストクワガタは本クワガタのハサミにぎゅうううっと挟まれて負けてしまうのだが、「そのクワガタ弱いなぁ、どこでとったん?」に、一言、「ゴルゴダ」
 ギャグ漫画なんかといえばそうなんだけど、その下げに至るまでの絵が効いてるんだよね、つまり兎丸の絵のカリカチュアがすごく効いている。キリストネタで行くなら、昆虫採集の標本箱のど真ん中にキリストが磔にされてるなんてのは、をををを~~っとなってしまう。かと、ボティチェルリの「プリマベラ」にネタをとってきたりで、兎丸にかかったら、《最高の食材を取り寄せてねこまんまを食べるようなそんな気分(漫画時代)》
 それとね、ボク、国民的漫画サザエさん―国民栄誉賞もらったんだよねぇ―が大きらいなんよね。お父さんとお母さんがいて・・・・、なんて、けっ(-.-;) そのサザエさんもしっかりネタにしてくれて、そのことだけでも★5つあげてしまいたい。♪~みんなが笑ってる~ そりゃ、笑われますワ。
 まぁ、騙されたと思うて読んでみ。絶対、おもろい。おもろなかっても金は返しませんが、ラストのゴルゴ13やら、揚げ句には、『ねじ式』の蒸気機関車が走り回ってるのには涙流して笑い転げてたのでした。ただし読むときには誰もいないところで読みませう。一人むふふで気持悪がられるのは保証します。


 篠原勝之『糸姫』 (1983 青林堂)

糸姫

原作=唐十郎。1975年9月の状況劇場の『糸姫』の原作。
ボクが篠原勝之をはじめて知ったのは、やっぱり状況劇場のこと。状況劇場の芝居のひとつの頂点だと思う74年の『唐版・風の又三郎』のポスター、それから戯作本の装丁もこの篠原勝之ことクマさんだった。『風の又三郎』の一作前の73年『海の牙』からこの75年『糸姫』を経て79年『青頭巾』までのおよそ7年間に11作の公演ポスターなどの宣伝美術を一手に引き受けてきた。それだけでなく、78年『ユニコン物語』ではクマさん製作のドリルつき自転車が舞台に上がる。
『あの自転車は、三十代を状況劇場とともに過ごしたキネンヒ的作品』(嵐山光三郎)
 ところで、この時期の状況劇場はボクの個人的事情のせいなのか、ずこーんと抜けてしまってる。それが悔しくてしかたない。『風の又三郎』のちょっとうつむき加減に赤紫のストールを風に翻した女のイラストにあんなにこころ踊らせていたのに。
 このクマさんの『糸姫』ははじめ75年の「ガロ」に掲載された。同じようにこの時期あたりから「ガロ」的な環境からもすっぽりと抜け落ちてしまってたもんだから、この『糸姫』にボクが巡りあうまでに25年もの歳月が経ってしまってたというわけ。だからまんだらけでこの『糸姫』を見つけたとき、なんだぁ、これはぁーとびっくりしてしまった。第一、クマさんがコミックを描いていたというのさえ知らなかった。(といってもコミック本として出されたのはこれ一冊のようだけれど)なんか前置きばっかり(^_^ゞ

 まずは表紙、くきっとしたライン。思うにこのクマさんの描く女のように、頬から顎にかけてのラインのきれいであること、というのがボクの好きになる女の第一の条件なのだ。
 肝心の本編は、一見、つげ義春と林静一と篠原勝之がケンカして描いたようでもあるな。当然、世界は完璧に唐の世界だけれど、原作の唐の戯曲さえも読んでないから、このクマさんの『糸姫』と比較するわけにもいかないけど、ボク個人としては唐を通して見てしまうから、「唐の作品」として見てしまうのが辛い。クマさんが唐に一番べったりだったときだから仕方ないかもしれないね。それくらい唐というのはすごい人だった。でも、唐というフィルターをもってなかったらもってなくても、むしろもってないほうが純粋に「篠原の作品」として楽しめるんじゃない。ラストのこま(P70)は、その後のクマさんのオブジェ製作の出発点だったのかなあと思う。
 で、どちらかというと、『におい横丁』(76年「ガロ」)のほうが、ボクは「篠原の作品」として楽しめた。どこか、『ゲンセン館』だったりもするのだけれど、浜昼顔に埋め尽くされた一枚は『紅い花』に並ぶくらい美しい。

状況劇場『糸姫』キャスト
  絵馬=李礼仙、原価=根津甚八、姫小路=小林薫、婦長=不破万作

プロフィール

まご

Author:まご
とうとう、うらブログに見つけましたね(^_^;

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