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 金原ひとみ アッシュベイビー

アッシュベイビー

きゃはっ、ちょっと引用が長すぎたか。あ、でもこの部分の疾走感はむちゃくちゃに気持ちがいいんだもん。止まらない、止まらない。たぶんね、書きだしたら止まらなかったんだと思う。だから読みだしたら(写しだしたら)止まらないのだ。
きっとな、処女作の『蛇にピアス』のほうが世間の評価はいいでしょ。でもね、この疾走感がこの『アッシュベイビー』を全編を通して支えているんだと思う。だいたい『蛇に~』で芥川賞受賞後の第1作って、コケてしまうことが多いのだけれど、ボクはどっちかというとこっちのほうが、勢いを感じて好きですよ。
これも物議を醸すんだろな。ことばの使い方なんてのはもうむちゃくちゃだし、チンコ・マンコがポンポン飛び出すし、「けれども」とやたら続けてみたり、お偉い国語のせんせなんかが眉を顰めてるのが容易に想像できるってもの。確実に学校推薦図書にはならないだろうけれど、だからこそ学校推薦図書になるべき。
ちなみにボクはそう期待してたわけじゃなくて、たまたま本屋で見つけたときに、ハンス・ベルメールのカバーにつられて買ってしまった。いわゆるジャケ買いね。ジャケ買いって正解の時多いな。ではいざ長ぁ~~~い引用を、いざ
外は白み始めていて、私はとりあえずタバコに火を点けた。窓を開けると冷たい風が入ってきて、体中がその冷たさに反応する。寒い、寒い、寒い、という信号を吐き出す。だから何だっつーんだよ。だから何だよ。私に何しろっつーんだよ。窓を閉めろっつってんだよ。うるせえ。お前がタバコを吸いたがるからタバコを吸ってやってるんだよ。私はタバコなんて吸いたくないんだよ。ただお前が欲しがるから吸ってるだけなんだよ。わかってんのか? バカ野郎。窓を閉めたいんなら自分で閉めろポケ。お前が私に勝てるはずねえんだよ。どうしても寒くて仕方ないってんなら鳥肌でも立てて私が窓を閉めるのを待ってな。ガタガタ騒ぐとお前ごと殺しちまうぞ。殺すぞコラ。お前一人殺すぐらいわけねえんだぞクソ。お前をファックして殺しちまう事だって出来るんだぞ。膣にナイフを突っ込んで中をかき回す事だって出来るんだぞ。お前の腹に包丁を突き立てて臓腑を引きずり出す事だって出来るんだぞ。電車に礫かれて何もかもぐっちゃぐちゃに出来るんだぞ。お前なんかクソだクソ。お前が寒いって事が私の思考を一ミリたりとも動かす事はないって事だ。お前が死のうとお前が吐こうとお前が泣こうと私には関係のない事だ。私はお前を簡単に殺す事が出来る傍観者なんだぞ。もう、通り魔みたいなノリで簡単に殺してやるよ。「ムカついたから」って理由で殺してやる。お前なんかこの世にいらない。お前なんかただ私の思うように動いて私の食いたいモノを食ってればいいんだ。殺してやったらお前は笑うのか? 多分笑うんだろうな。私に殺されたらお前は笑うんだろう。お前が笑ってるのを見て私はもっと笑ってやるよ。何てったってお前は私なんだから。大体お前が生きてる事自体がとってもおかしい事なんだよ。だって私はいつだって殺せるのにお前は生きてる。今まで私の気が向かなかった事の方がおかしい。今までお前を殺そうと思えばいつだって殺す事が出来たわけで、二十二年間それが一度もなされなかったのはとってもラッキーな事なんだぞ。お前は今お前が生きてられる事を幸せに思え。バカ野郎。生きてるって事がどういう事なのかお前の舌っ足らずな思考で言ってみな。何黙ってんだよ。お前何もわかんねえんだろ。どうせお前は何もわかんねえんだよ。私がいなきゃ何も出来ないくせに。何鳥肌立てて窓を閉めろなんて言ってやがんだクソが。クソだクソ。お前なんかクソなんだから肥料にされて撒かれちまえ。お前の事みんなが臭いって思ってんぞ。クソはクソらしくクソしてればいいんだよクソ。きええー。私は叫んで昨日オレンジを食べた時に使った果物ナイフをつかんで左の内腿に突き立てた。私の肉体が反乱を起こした。一揆だ。あ、でも、精神が肉体を支配しているのだとしたら私は私の精神にも肉体にも反乱をおこされたって事になるのだろうか。どっちでもいい。ただ、今私は果物ナイフを抜いた方がいいのか、それとも突き刺したまま病院に行った方がいいのか、とても迷っている。いやいや、神経とかやられてたら歩けないだろ。っつーか、私大丈夫なのか? 一時の気の迷いでこんな事しちゃって、大丈夫なわけ? うーん、大丈夫なわけないし。どうしよう。ホクトに救急車呼んでもらうのもちょっと、っつーかかなり間抜けだし、かと言って自分で救急車とかタクシー呼ぶのも間抜けだし。まあ、いいや。どうせ私はなにやったって間抜けなんだから。死ねやクソ、私はそう言うと果物ナイフを引き抜いた。勢い良く飛び出した血を顔面にくらって、私は面食らった。血を吐く傷口なんて、マンコみたいだ。鳴呼、マンコ誕生。なんて考えていたら、ベッドのシーツがどんどん赤くなっていった。ああ、いいね。とっても綺麗。この赤が私の体に流れていたなんて、想像出来ないよ。とっても綺麗だよ。私、血だけならこんなに綺麗なのに、どうして私はこんなに汚いんだろう。どうしてこんなに汚くてバカなんだろう。どうして私は数式が解けないのだろう。どうして私は古典が苦手なのだろう。どうして私は人の心が読めないのだろう。私を愛するモノなんて何もないと知ってしまった時、食欲や物欲や情欲や私に関する全てのモノが私を裏切ったような気がする。最初から裏切られてるのかもしれない。いや、裏切るも何も私は最初から誰にも求められてないし、誰からも求められてないし、誰からも求められてないのかもしれないし、本当は誰からも求められていないのかもしれない。お願いだから誰か求めてよ。誰でもいいからさ。でもやっぱちょっとオヤジは勘弁だけど。でも誰でもいいよ。本当に誰でもいい。誰でもいい。求めてよ。お願いだから、大丈夫なの? って心配してよ。心配してよ。血を流す私を心配してよ。ナイフを突き刺す私を心配してよ。どんな心配でもいいから。どんな心配の仕方をしても構わないから。どんな言葉でもいいから、私にかけてよ。いいよ。わかったよ。もういいよ。精子でいいからかけてよ。私の顔面にぶっかけてよ。誰でもいいから誰か私を誰か愛してよ誰か愛してよ誰か求めてよ誰でもいいから。何も文句は言わないのよ。私が今までに文句を言った事がある? あったなら悪かったわよ。ていうかあるわよ。私は文句しか言わないわよ。でも私はずっと求めてもらいたくて仕方なかったのよ。これからもきっとずっとどうしようもないのよ。そうよ私はどうしようもないの。どうしようもなく誰かを求めてるのよ。とにかく私を愛して欲しいの。他の誰でもない私をね。私だけよ。私だけ愛して欲しいの。私以外の誰かを愛するなんておかしい。私以外の誰を愛すっていうの? 私以外に愛する人がいるとするなら神だけよ。神と私以外は絶対に愛す価値のない人間だから。涙を流してしまってとても醜い私だけど、言わせてもらう。もういい。私はもう愛してもらわなくていい。もう愛さないでちょうだい。ていうか愛すな。愛されるなんて私には荷が重すぎる。私なんて愛されるに値しない。私なんていらない人間だし。別に愛さなくていい。求めなくていい。何も求めないでいい。私の事なんか求めなくていい。ただ、ただ私にほんの少しでもいいから興味を持ってちょうだい。私だけに、いや、私だけでなくていい。多くの興味を持っ事柄の中で私に、たった一ミリでもいいから、興味を持って欲しい。私は本当に、誰からも興味を持たれない人間みたいだから、とにかく誰でもいいから興味を持って。ただの興味でいいの。単なる興味でいいの。興味なんていくらでもあるでしよ。その一ミリを私にちょうだいって言ってるの。私だけじゃなくていいって言ってんの。何だつていいの。何だっていい。私に関する事なら何でもいい。私に関する事でいい。私に関する事に興味を持ってよ。私私って、とっても私私してしまつて申し訳ないけどさ。私は私が大好きなんだよ。私以外の事に何も興味はないんだよ。申し訳ないけどさ、私は私って言葉が大好きなんだよ。ただ私が自分のゲル状態を確保するために私私言ってんだよ。それがないって事はつまり、生きてないっていうのと同じ事なんだから。
「うう」
 私は唸って泣いていた。脚が痛いような、何か悲しいような、そんな気がした。
「ううー」
 大きく唸ると、何となくスッキリした。そうだ。明日は誰かとセックスしよう。そう思った。

どうよ、この改行のなさ。それだけでボクには



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 鈴木いづみ ハートに火をつけて!-だれが消す

鈴木いづみ


左:オリジナルの三一書房版。右:鈴木いづみコレクション1

まだボクがコウコウキョウシなんてものをやっていたころ、職員室でこれを読んでいたら、ボクの生徒が、♪~かもんべいべらいとまぁふぁいや・・・と口ずさんだ。ゑっ、なんで知ってんだぁぁ、と、あっ、そっかそっか、ジミヘンのキーホルダーをカバンにつけてた生徒クンでした。「わっ、これくれ!」と言うたら、「うん、ええよ」とくれた奴だった。
 あの70年を思い返してみて、ええことなのか、どうなんだろか、胸きゅんのきゅん、きゅきゅんのきゅん。あれからもうすでに30年。。。まだ10年と経たなかった日、村上龍が『限りなく透明に近いブルー』を出したときに、すぐさま『限りなく~』読んで、ああ、こういうのはもういいやと感じてしまってから、もう20年経つ。それからでさえも20年経ち、ボク自身にも20年の時間が通り過ぎた。すると、胸きゅんのきゅんになってしまってたまらない。それは
彼にふたたび会える日を、彼にもう一度抱かれるときを、長い長いあいだ、夢にみていた。彼はわたしの「青春」を体現していた。消えていったひとつの時代のシンボルだった。あきらめきれなかった。人生がおそろしい様相を呈してくると、わたしのなかの彼は、その輝きをさらにつよくするのだった。
だからなのか。
 その'70年の初冬、朝まで起きていたボクは急に雪がみたくなった。単純にも北をめざせば少しでも雪に出会えるだろうと、朝6時いくらかの稚内行きに飛び乗った。ボクの乗った稚内行き鈍行は通学列車にもなって、登校中の高校生に囲まれて走った。深川。ふっと向いのホームに留萌経由稚内行きの列車が止まっている。急に海を見たくなって、そちらに乗り換えたのだ。乗り換えた列車は留萌、羽幌と延々と黒い日本海に沿って走り、やがて下校列車になって、今度は下校の高校生が窓を曇らせた。幌延。幌延の駅でふっと向いのホームに、何時間も前に別れた札幌発稚内行きの鈍行があった。旭川、名寄と走ってきた鈍行があった。
生きてみなければわからないことがある。わかってしまったあとでは、もうおそいのだ。だからといって ―― だからこそ人生はすばらしい、というほどの元気もない。
 と、鈴木いづみが、著したころ(1983年)にやっと生まれた子どもは、ボクが読んでいる本を見て、♪~かもんべいべらいとまぁふぁいや・・・

ハートに火をつけて!―もう誰にも消させない

 
2001/06/06 記   08/11/14 一部加筆 

 荒木経惟 / 町田康『俺、南進して。』

俺、南進して

まずは荒木経惟の写真ね。新世界、天王寺、銀橋、安治川、南霞町、和泉府中?...と、大阪ロケ。モデルは町田康。うーん、いつもながらにいいねぇ。って感心してるのは、ボクのまわりでほとんど同意してくれんの。ぼてっ腹のおばちゃんの写真が入ってるからか、あまりにそっけないからか。まぁ、いいや。
その荒木経惟にコラボレートして、どっちがシンクロさせたんだかわからないけど、たぶんキャリアからして、荒木経惟が町田康にシンクロさせたんだろう。町田康が展開する物語の説明的な写真になっとらんのがこれまたいい。しっかり荒木経惟は荒木経惟で写真で小説やっちゃうんだから、天才なのであります。
して町田のほうの物語は、俺、好きなんよね、かの語り口。無責任放埒バイオレンス。この改行なしの、いたぶり文体。たまらなく好きです。なにが、鯵川じゃ(゜゜)
 はんはんはん、ふんふんふん。という息遣いに交じってときおり、どさっ。どさっ。という音がする。なんだろうと思いつつも行為を続けていると、目の前の、眉根に皺を寄せ苦しげな女の顔に、赤黒い毛の生えた毬のようなものが落ちてきて、猛烈な悪臭、ぐわっ、とわめくと同時に俺、はむ、と気を遣った美しい女の顔に半分にちぎれたどろどろの栗鼠うそ寒い思いで立ち上がり空を見上げると縦横無尽に張り巡らされた電線に夥しい数の烏みな捉えた栗鼠をくわえていた泥にまみれて倒れている女ぴくりとも動かない、俺、そうだ鶴を見るのだったと半ば義務的に女の脚のところにかがみ込みライターを捜して上衣のポケットをまさぐったそのとき頬に鈍い衝撃咄嗟に手で押さえると顔面がぬるぬるしている鼻血だしかしそれでも俺は左手で打撃をかわしつつ鶴を探そうとするのだけれども打撃は間断なく続いてちっとも鶴が見られない、俺、少しは静かにしやがれと向き直って腹と顔拳固で何度か殴りつけると静かになって打撃が止んだのでああ拳が別の血でぬるぬるするとおもいつつもいま一度脚をまさぐったのだけれどもそうするうちにも千切れ栗鼠が降ってきて、身体が下の方に10センチばかり、ぴくんとさがった。

031105 記 




 山田詠美 『ひざまずいて足をお舐め』



『ひざまずいて足をお舐め』はタイトルがアレなので、本屋で買えないという可愛いボクちゃんがいた。貸してやったよ(笑) 山田詠美は好きで、というか、うちは夫婦そろって黒いの好きだから、いっぱい読んでいる。いや、ほとんどすべて単行本でそろっている。それくらいのアホです。そんなアホでも、実はボクが最初に読んだ詠美は、デビュー作の『ベッドタイムアイズ』(85)でも、直木賞の『ラバーズオンリー』(85)でもなくて、この『ひざまずいて足をお舐め』。1990年くらいだったかな。山田詠美なんて全然知らんかったもん。確か神代辰巳/樋口可南子の映画『ベッドタイムアイズ』(87)も見ているのに、山田詠美にたどりつかなかったのだ。本屋の書棚に並んだ『ひざまずいて足をお舐め』というタイトルに扇情的にそそられて偶然買ったのが運の尽き。そこからどどっと夫婦そろって、山田詠美にはまりこむことになったというボクにとっては記念碑的な一作。

第1章にいきなりSMクラブでの話が飛び出してきて、それもペニスに針をぶっ刺すなんていう信じられないようなエピソードが出てくるので、これでぶっ飛んでしまうかもしれないけれど、あとは比較的穏やかよ(笑) 詠美の分身ともいえるちかと忍の二人の語り口でどんどん詠美の恋愛観、人生観が語られる。表現として「 」を使わないで、どんどんしゃべり言葉で進んでいくスタイルも、やったねってところ。
いまや、高校の教科書にも出てくるようになった詠美だけれど、ボクのように山田詠美への入り口として読んだらきっといい。高校生なんか『ぼくは勉強が出来ない』なんか読んでるより、きっとためにある(笑)

10数年経ってあらためて読み返してみて、やっぱり山田詠美はボクにとってラバーだと思ったよ。
私は、外側からのものを自分のフィルターを通して、内側に持って行って、それをまた、外に出すという面倒なことをしなきゃ、自分の存在を確認出来ないわけ。でもさ、そうじゃなくて、自分の内側で、最初から、ものをあふれさせて、それを自分のフィルターを通して、外に出すだけで、しっかり自分自身を作り上げちゃう人もいるのね。そういう人は、私より、心の器官が一つ少なくてすむのよ。すごく、いいなぁって、私は時々羨ましいね。私の選ぶ男の子たちは皆、そう。お姉さんもそうだと思う。それが、さっき言った、文学をするのではなくて、その人自体が文学だってことなの。ちょっと、ややこしくって、文学なんて言葉、赤面しちゃうんだけどさ、もしも、絶対的な音楽があるとして、そういう人たちは体から、その音楽を流してるんだ。私は、そう出来ない。外から入ってくる色々な音を自分の内に溜めてそれから音楽を創って外に出すやり方しか出来ない。そして、それが私の場合、小説を書くことなんだけどね。
世の中には、色々な人がいるよなぁって私は思う。ぶたれることで快楽を得る人もいれば、ぶつことで得る人もいる。くすぐられることが一番、好きな人もいるんだものね。そうされることをお客が望んで、私なんかに辱められて、満足するのも、彼らが、本当に守られるべきものは、ちゃんと守っていることが出来るからだろう。どんなに裸になって辱められても、結局、その人たちが持つ基本的なものは決して辱められることはない。それを辱められたら、人間は生きては行けないし、そして、それは、裸になった体の表面には、ないものなのだ。だから、彼らは、私の目の前で、どんな醜態をさらしたって平気だ。私たちと客の間には、そういう暗黙の了解がある。
 でも、やはり、肉体を他人の手に預けてしまうというのは勇気のあることだ。そして、それをしてくれる客たちを、どうして軽蔑することなんか出来るだろうか。早苗もねえ、外側なんだよ、外側。かぶってる皮をぷちんと破れば、まわりのものが皆、愛すべきものに見えてくるのにねえ。
自分が傷つけられるって意識するばかりで、人を傷つけたらどうしようって悩んだりはしないから、被害者意識だけで毎日が過ごせた。被害者意識って、すごくお気楽なものだよね。本当の心地よさを知らない人間が持つ、じゃなかったら、本当の心地よさを味わったことを忘れてしまった人の持つ醜いものだよ。人間には基盤ってものがすごく大切だと思うんだ。幸福ってことを知ってる人、人を傷つけてはいけないことを知ってる人は、どちらかっていうと、いつも加害者意識で自分を傷つけている。こっちの方が人間として、ずっと上等なだけ、はるかにつらいことだと思うんだ。

 つげ義春 『貧困旅行記』





宿屋に戻ってからも、私は彼女の視線が意味ありげに思え寝つけなかった。睡眠薬を常用していたがそれでも眠れず、クスリのせいで酒に酔ったような気分でもう一度ストリップ小屋に行ってみると、一回の公園の終わったあとで客席は空だった。私は次の開演まで客が集まるのが待ちきれず、何人集まると始めるのか訊いてみると、最低五、六人ということなので、一人で五人分の料金を払い舞台を独占した。
 彼女はバタフライ一つだけ付けただけで踊ろうとしたが、私は手招きして自分の目の前に坐らせた。私は舞台のかぶりつきの椅子に掛け、彼女は前に出てきて正座した。間近に彼女の太ももを目にして私はそっと触ってみた。すると俄かに感情が高ぶり、次に頬ずりをした。彼女はじっとされるままにしていたが、私は何故かせつなさがこみ上げ、彼女の腰に手を回しすがりつくように抱きしめた。彼女は優しく私の髪をなぜた。舞台に流れる甘いメロディの効果もあったのだろう。私は、
「こうしているだけでいいんだ、こうしていると何となく安心できるんだ」
「蒸発旅日記」 
 猫も雄は一度出ていったら戻ってこない。友達の家にいた猫が家を出ていってしまってもうあきらめていたら、ひょっこりその猫に似た小さい猫を二、三匹後ろに連れて歩いているのを見たという。それまでエサにもねぐらにも不自由しなかった雄猫がある日、急にふいといなくなる。そうしてまた別のどこかで新しい生活を始めている。
 何が満たされないわけでもない、何か不自由なことがあるわけでもない、それでも芭蕉のことばを借りれば「漂泊のこころさめやらず」なのだ。「すべてを擲って」ということではない、「すべてを擲つ」からにはそこにはその先にいま以上の価値を見いだしているに違いない。そうではなくて何の価値も見いだせないまま、ときにいまの自分を否定してみたくなるときがある。
 女に言わせれば「男なんて勝手なもんよ」

 短編というか、旅行記が十数編、それもどれも温泉に泊まって、海の幸、山の幸に舌鼓をうってという温泉旅行でない。そういうところにもこの「貧困旅行記」と、あれ、もうひとつ何だったっけ、新潮文庫になってるんだけど、その二冊がボクの温泉巡りのバイブルと書いたけど、ひたすらに暗い。ははは、つげの描く漫画自体暗いやんねぇ、地からして暗いんだろう、会うたことはないけど。きっと会ってもぼそぼそっとしかしゃべらないで、なんの会話にもならない人だろう、きっと。

一般の行楽客にはとっては、暗い谷間とちっぽけな滝、中津川の川原は殺風景で、これほどつまらぬところはないだろうが、私はここが、とくに滝やお堂がすっかり気に入った。鉱泉業のことはともかくとして、こんな絶望的な場所があるのを発見したのは、なんだか救われるような気がした。
「丹沢の鉱泉」 
 これってツーリングでだかだか走ってるときによく思うよ。なんでこんなところに人は来ないんだろうって、いや、反対になんでこんなもんにふっと立ち止まってしまってるんだろうって。そういう情景というのかな、ふとなにげない他人にとってはどうでもいいような、なんらの価値もみいだせないところにこだわってみたりして、ひとりほくそえんでみる。でもそんなところに男の原点のようなものを見いだしてしまうのはボクだけではないと思う。そうしてぼそっとどこかの温泉、いや温泉場に現れて、まわりになんの痕跡も残さず去って行く。どこかに男のロマンを感じないだろうか。

    ---- 善人なおもて往生をとぐ
            いわんや悪人をや-----

98/01/06 記 
プロフィール

まご

Author:まご
とうとう、うらブログに見つけましたね(^_^;

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